個人旅行の二酸化炭素排出量

リチャード・ブランソンが宇宙を見に行ったみたい

 

が、これって、いわゆる学術的な目的があっての手段ではなく、ぐるぐるすること自体が目的であろう。経費的にはどうなのか知らないけど、内容は個人旅行に分類されるのではないかと。少なくとも今後の案件は個人旅行だろう。

 

個人旅行ごときの二酸化炭素排出量はどのぐらいが許容線なのだろうか。個人や団体がエアコンの設定温度を変えろと言われ、レジ袋は現地調達せずに代替品を持参しろとか、旅行するならマイカーより公共輸送で行けとか(行きたいねぇ)、他の生物の繁殖を邪魔してでも代替エネルギーへ転換しろとか、まあいろいろ言われている間に、その傍らで一発でどーんと消費される酸素の量が大々的である。深海だろうが宇宙だろうが、もう静かな方がいい気がしてくる。イノベーションへの投資だとはあまり思わない(純投資がいいね派である)。見せ方のいやらしさが好きでないという話かもしれない。美意識の問題だけなら放っておけばいいんだけどね。

 

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こういう議論って、選挙で「1人投票に行ったところで大勢変わらない」という主張と若干似てるけど、そんなこと言うだけの人にも結果は確実に降りかかる。たとえば政策当事者が劣化するとか(にわたまでもある)。実際には、選挙は属性によっては投票したこと自体のインパクトが絶大なので、行ったほうがいい。適切な選択肢も投票者の属性からおのずと決まるので、平均年齢よりも若い人はまず行動。一度行くと会場近傍だけでもいろんな人の動きが見えて、以後必ず投票するようになる(期日前投票のほうが濃いかも)。二酸化炭素問題は、これほどにダイレクトではないように見えそうだけども、現に洪水多発だったり生き物の種類が減ったりしているので実感はあるはずである。

 

規模の大きな公共財の浪費というかフリーライドと破壊の問題になると、浪費する側はそう見えないように説明する。そのかいあってか、傍観者はぼけーっと食いつぶされることが決まっている。どう抗えるか。そこに自分の金をおめおめと流さない努力はできるけども、もう少し積極的に否定したいなぁとたまに思う。