まともなジュエリーはほっといてもまーまー倫理的である

今日はエシカルジュエリーへの関心が高まっているかなと。環境相の功労で。

 

が、エシカルを売りにして新しい人が出てくる前に、まともな企業の仕入れはとっくにほどほどエシカルで、内容はともかくとしてキンバリー・プロセスはそれなりに長い間続いている。一般人のお買い物では、宝飾品購入と倫理が同時に意識上にのぼることはあまりない。幸せを買いに行くのに不幸の少なさを基準にしろと言われると難しい。ある種のときめきが必要なプロダクトであることもあり。だからコーヒーもチョコも紅茶もコショウもリチウムイオン電池も売れてるんだろう。俺も買うし。ちがうか。

 

ほどほどにまっとうさを確認できれば、ふつうは名のあるブランドの説明を信じて、あとは買い物に集中すると思う。そのほうが本来の目的に忠実だから。ものだけを比較して負ける製品を「こっちのほうが説明が教育的で共感した」と言って買うかどうかはわからないけど、頭ありきで買うもんなのかなジュエリーって。

 

ということで、個人の印象としては、立ち上げ当初はおよそ宝飾性の薄い高楊枝なプロダクト群でした。創業者の評判はもともと悪かった。それでもひとりひとりの顧客の共感に支えられて成長してきたんだろうと思う。

 

意識を売るブランドにはイメージの貫徹性が高度に求められ、しかもそれが顧客の生きてる限り続く期待であろうと。罪深いですよねぇ。。。出資した人の奥様のご職業を考えるとうーんと思うけど、そういう話は呑めちゃうんでしょうね。文字にする人もいないでしょう。知らなくて検索する人もたぶんいない。

 

もっと罪深い女性経営者をわれわれの多くは今思い出せるわけですが(世襲だけど)、まーみんな元気なので、すごいなと感心しつつ頑張ろうと思います。